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日産・スカイライン リンク集

1957年に富士精密工業(のちのプリンス自動車)の主力車種として生産を開始。1966年にプリンスが日産自動車と合併した後も車名が引き継がれ、長期に渡って生産されてきた。 車名は「山並みと青空を区切る稜線」に由来する。2007年3月21日、名付け親の桜井眞一郎がこの名を思いついた場所である群馬県草津町の山小屋「芳ヶ平ヒュッテ」に、生産50周年を記念して「スカイライン命名の地」のプレートが設置される。 国内での位置付けはアッパーミドルクラス向けのハイオーナーセダンであるが、過去に自動車レースで用いられた歴史があり、製品の性格付けもスポーティーなイメージが強調され、広告等では過去のレースシーンとの関連が強調される事も多い。しかし、スカイラインの中では2代目の"GT"とそれ以降の"GT-R"や"RS"グレードは実際にレース色が強いが、その他の車種は実際にはそれほどレース色が強い訳ではない。 GT系は愛称として「スカG」(すかジー)と呼ばれることもある。 長野県岡谷市の鳥居平やまびこ公園内には、自動車博物館としては異例の単一車種の博物館「プリンス&スカイラインミュウジアム」がある。 C10型からR32型までは、型式ごとにCMキャッチコピーなどから採られた愛称(通称)を持つ。

8代目 R32型(1989年-1993年[12]) [編集] 日産・スカイライン(8代目) R32型 前期型4ドアGTS R32 front.jpg.jpg GT-R Nissan Skyline R32 GT-R 001.jpg Nissan Skyline R32 GT-R 002.jpg 販売期間 1989年 - 1994年 設計統括 伊藤修令 ボディタイプ 4ドアセダン 2ドアクーペ 変速機 4速AT / 5速MT 駆動方式 4WD / FR サスペンション 前:マルチリンク 後:マルチリンク / リーフスプリング 全長 4,530 - 4,580mm 全幅 1,695mm 全高 1,325 - 1,340mm ホイールベース 2,615mm 総販売台数 29万6,087台(GT-Rの4万3,661台を含む) -自動車のスペック表- 通称:R32(アールサンニィ)、超感覚スカイライン 1989年5月23日 4ドアセダン7グレード、2ドアクーペ5グレードで登場。FR車のみ同日発売でGT-Rを含む4WD車は8月発売とアナウンスされた。GT-R以外の系列は最後の5ナンバースカイラインとなる。ボディタイプはR31型まで存在した4ドアセダン、およびステーションワゴンが姿を消し、ピラードハードトップ構造の4ドアスポーツセダンと2ドアクーペの2本立てとなった。4ドアハードトップはR32型が最後となった(R33型以降は窓枠付きのセダン)。 標準モデルの搭載エンジンは直列6気筒が215psまでパワーアップされたRB20DET型(GTS-t)を筆頭にRB20DE型(GTS)、 SOHCのRB20E型(GTE)と直列4気筒SOHCのCA18i型(GXi)もあったが、R31型まで設定されたディーゼルエンジンの設定はなかった。中でもR32型のGTS-4にはRB20DET型エンジンにGT-Rと同じアテーサE-TSを組み合わせている。(鉄パーツ多用による重量と、ブリスターフェンダー非装着なのでトレッドの狭さがありGT-Rと同様な高性能とはなっていない)。後にマイナーチェンジで2500ccのRB25DE型を搭載し、5速ATを組合わせたGTS25も追加され、GT-R以外の3ナンバーモデルも発売されたが、A31型セフィーロの様に全車3ナンバー化はされなかった。またこのモデルから4気筒、6気筒に関わらず、すべてのグレードにおいて丸型4灯テールランプが採用されている。 GT-Rの復活ばかりが注目され陰に隠れる形になってしまった標準モデルだが、ボディがやや肥大化しすぎた感があった7代目をダウンサイジングしてスリム化したスタイリングは、自動車評論家やレーサーからはバランスの取れたモデルとして評価が高いが、車内空間が先代と比べてかなり狭くなったため(特に後部座席)ファミリーユースが減少、新たな兄弟車種であるセフィーロ[13]の存在、そして車の流行がミニバンやRV[14]に変わっていった時期とも重なり、販売台数は落ち込んでしまう。なお、前期・後期共に教習車仕様が存在していた。 パトカー仕様の設定はこの代が最後となる(YHR32型車が1991年8月まで製造)[15]。なお先代R31型までは中東やオセアニア向けなどの輸出仕様が存在したが、このR32型は日本国内専用モデルであった。 1989年8月21日(GT-R、GTS-4発売開始) 16年ぶりにGT-Rグレードが復活し、日本国内のみならず日本国外の自動車レースを席巻した。かつてのGT-Rは自然吸気の直列6気筒4バルブ DOHC 2000ccエンジンを搭載する後輪駆動(FR)であったが、復活したR32型GT-R(BNR32型)では、2568ccの直列6気筒4バルブDOHC エンジンにセラミックス製ターボチャージャーを2基装備した(RB26DETT型)を搭載し、FRをベースとしつつも、電子制御によって4輪に自在に駆動力を配分できる4輪駆動システム(アテーサE-TS)を搭載する4輪駆動車とされた。 1990年2月22日 グループAホモロゲーションモデルとして、タービンをセラミック製から耐久性の高いメタル製へ、ダクト付きフロントバンパー(通称ニスモダクト)、フードスポイラー、リアワイパーレス等の変更を加えた「GT-R NISMO」(限定500台)を追加。モデルコードはKBNR32RXFSL-RA。 1991年7月19日(N1発売開始) レース用ベースモデル「N1」登場。角型ハロゲンヘッドライト、ブレンボ製ブレーキ、NISMO純正ホイール、NISMO製ステアリング、マフラー、ストラット・タワーバー等を装備し、主に耐久レースのベース車両となった。製造は228台のみ。 1991年8月20日 標準モデルをマイナーチェンジ。フロントバンパー、フロントグリル、ヘッドライト、バッジ類などを小変更。内装はクロスの素材や色、メーターパネルなどを変更。またサイドドアビームや運転席エアバッグをオプション設定するなどの衝突安全対策を充実・2500ccモデルが追加 (クーペ・セダン共)・代表的な型式はE-ECR32 尚、HCR32と聞くと、ターボ付きのタイプMを思い浮かべる人が多いが、[誰?] NAモデルにもHCR32は存在する。 E-のEは排ガス対策年数・Eは搭載エンジンの排気量 Cはハイキャス付きの意 Rは車名 1992年2月 オーテックジャパンより、4ドアスポーツセダンGTS-4をベースに、GT-R用RB26DETT型をNA化し、鍛造ピストンや高回転カムシャフトを採用するRB26DE型(220ps/6800rpm、25.0kgm/5200rpm)と4速ATを組合わせた「オーテックバージョン」[16]が発売された。 その他、コンプリートカーメーカーのトミーカイラがオーストラリア向け車両に搭載されていた3000ccSOHCのRB30E型エンジンをRB26DETT型のパーツを流用しDOHC化。NAながら 280psを発揮させるRB30DE型を独自開発し、オーテックと同じくGT-Rではなく2ドアスポーツクーペGTS-tの車体に搭載しコンプリートカーとして市販した。 スカイラインの生みの親である桜井眞一郎率いるS&Sエンジニアリングの手により、R32型GT-Rの優良中古車をベースに、R33型とR34型の純正パーツを使用し制作された「BNR32 S&S Limited Version」がインターネット限定で32台販売され、即時完売した。 社内での開発コードはRXだった。当初、メーカーの広報車の一部には、「RX」のロゴとストライプを組み合わせたデカールが貼られていた。また、そのストライプデカールはディーラー・オプション品として設定されていた。

8代目(R32型) [編集] 1990 カルソニック スカイライン ニスモのエキシビションにて 1990年全日本ツーリングカー選手権(JTC)第1戦西日本サーキットにてGT-R(グループA仕様)はレースデビュー。レースでは、星野/鈴木組のカルソニックスカイラインがポール・トゥ・ウィンを飾るだけでなく、予選ではコースレコードを2秒近く短縮、決勝ではレースの4分の1を消化した時点で既に全てのマシンを周回遅れとするなど、(2位でゴールした僚友・リーボック スカイラインGT-R以外の3番手以降は2周以上の周回遅れ)圧倒的な力の差を見せつけた。その後もシリーズ全戦でポールポジション獲得・優勝。翌年度からは徐々に参戦車数が増え、最終シーズン1993年には7台のGT-Rが参戦、グループAは事実上のワンメイク状態とまで化した。結局、1990年の初戦からJTCというカテゴリーが終了する1993年まで無敗を誇り、最終的に29連勝という偉業を成し遂げる。なおJTCと並行してN1耐久シリーズ(現・スーパー耐久)にもGT-Rで参戦した。 また日本国内だけでなく、国外のレースにも積極的に参戦し、世界3大耐久レースの一つ、スパ・フランコルシャン24時間レースには1990年〜1992年に出場。91年にはGr.Aクラスで日産ワークスから送り込まれたZEXELスカイラインが総合優勝を果たした。[28]1990年には、マカオギヤレースに参戦。圧倒的な速さで予選トップを獲得、決勝でもその力を見せつけ、1度もトップを譲らずに優勝した。なお、他にもプライベートチームよりヨーロッパや北米のレースにも数多く参戦している。 なお、1990年に一度だけ世界ラリー選手権 (WRC) にも出場していた事があるが、この場では結果を挙げる事はできなかった。 尚、Gr.A終了後はJTCCと同時に始まった全日本GT選手権に転用される車両もあった。

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